BLOG

ペットロスは病気ではありませんが、ペットを失ったことによる深い悲しみから鬱状態になることがあります。
(=ペットロス鬱)

ペットロス鬱とは、ペットを亡くした後に感じる悲しみや喪失感が原因で、うつ病のような症状が現れることを指します。

涙が止まらない、やる気が出ない、ペットの死から立ち直れない、実感が湧かない、そしてペットの代わりに
ヌイグルミを抱いてしまうなど、これらの症状はペットロス鬱の兆候です。

このような感情は、ペットを亡くした直後から現れることがあり、時間が経っても改善されない場合があります。

今振り返って見ると、私も元太を亡くしてからすぐペットロス鬱になっていたんだなと思います。

以前のブログにも書きましたが、元太の葬儀を終えてから激しい喪失感に襲われ、意味もなく涙が
溢れ、仕事へ行く時も寝る時も、元太がいつも身に付けていた服を着せ、首輪を付けたヌイグルミを抱いていました。
そして何をしても楽しいと言う感情がなくなり笑わなくなりました。
まるで色を失った世界で生きているような感覚でした。

私の場合、新たな子を迎えたことで少しずつ乗り越えて行くことができましたが、人によって時間がかかることがあります。
そんな時は決して自分を責めず、悲しい時は我慢せず泣いて、焦ることなく日々を過ごされてください。

ただ、以下のようなことでほんの少し前へ進むことができるかもしれませんので参考までに記させていただきます。

・自分の気持ちを語ることが大切ですので、友人や家族、またはペットを失った他の人々と話をしたり、
あるいは手紙や日記に書き込んだりして悲しみを表現する。

・ペットの写真やビデオを集めて思い出を振り返り、また、そのペットのための特別な場所を用意し
記憶に残るものを作る。

・カウンセラーまたはサポートグループに参加することで、この問題を理解してくれる人々とつながることができ、
必要に応じて支援を求めることができます。

今まさにペットロス鬱になってる方がおられましたら、いつか色のない世界に少しずつ、明るい色が
増えていきますようにと願っています。


ペットロスとは何か?
ペットロス療法士として専門的なところで説明すると以下のようになります。

ペットロスとは、ペットを失った際に感じる悲しみや喪失感のことを指します。
ペットは家族の一員として暮らしていることが多く、その存在が日常生活に深く根付いているため、
ペットが亡くなったり行方不明になったりすると、飼い主は非常に深い悲しみを感じることがあります。
ペットロスは、「ただのペットだから」と軽視されがちですが飼い主にとっては非常に大きな喪失です。
ペットが与えてくれた愛情や癒し、忠誠心など多くの思い出が詰まっているため、ペットを失ったことで
飼い主は寂しさや孤独感を感じることがあります。
ペットロスは人によって異なる表現や対処法がありますが、一般的には時間が解決していくことが多いです。
また、ペットを失った際には愛情を注いでくれたペットに対しての感謝や、思い出を大切にすることも重要です。

と、頭で分かってはいても実際体験してみるとその悲しみは思った以上に深く、なかなか立ち直れない厄介なものだなと
自身が体験して実感しています。
その時思ったのが、身内を亡くした時の悲しみと我が子(ペット)を亡くした時の悲しみは別のところにあるんじゃないかと
言うことです。

そして何より、喪失者の悲嘆による強い苦痛を他者に共有・共感してもらえないことで悲嘆反応の長期化や病的な悲嘆を
生じさせている原因であると考えられています。

以前、愛情いっぱい注いだペットを亡くされた後引きこもりがちになり、ペットを失った悲しみや苦痛を誰にも
打ち明けられず後追いされた方がいたと耳にしたことがあります。

それほどまでにペットロスと言うものは悲しみ深いものなのだと言うことです。

こうしたペットロスでなかなか立ち直れない方の心に寄り添い、ほんの少しでも前へ進めるようにお手伝いさせて
いただくのが私の仕事、【ペットロス療法士】がいることを頭の片隅に置いていてくださるとありがたいです。

私がいつもお伝えしていること。

「悲しい涙がゆっくりゆっくり優しい想い出へと変わって行きますように・・・」

















今年は例年より早く桜が咲きました。
急ぎ足で回ってきた桜のバトンがなんとなく忙しなく感じるけれど、いつも桜を見ると心がキュンと切なくなります。
美しいけれどとても儚い桜の花がそう思わせるのでしょうか?

今は亡き元太と最後に桜を見たのは今から5年前。
あの日「来年も一緒に見ようね」と約束したけどその約束を果たすことはできませんでした。

それから一年後、ワタシは桜を見ることができませんでした。

元太と共に見た桜はワタシにとっても特別なものだったのかもしれません。

あれから5年、今は伍助と一緒に桜を見ています。
元太と同じようにたくさんの想い出を心に刻みながら。

元太、あなたと見た桜は今も変わらずとても綺麗に咲いていますよ。
お空からも見えてるかな?

いつかいつの日かまたあなたに逢える日が来たらまた一緒にお花見しようね。





今日、立て続けにお友達ワンコ2人の突然の訃報に心がついて行かず…
ご家族様のポッカリ空いた心の隙間が埋まる日はやってこないかもしれないけれど
どうかゆっくりゆっくり心が元気になられますようにと願わずにはいられません。

人が死を理解するのは3〜4歳頃なのだそうですが、ワンコは時間を理解しないので
自分の命に限りがあることも分かりません。
なので死を恐れることがありません。
未来を心配せず、過去も振り返らず、ただただ今を懸命に生きています。

身体が思うように動かなくなっても、なんで動かないんだろう?と
疑問に思うだけで自分はもうすぐ死ぬんだとは思いません。

だからどの子もみんな旅立つその時まで命いっぱい生きるのです。
悔いなんて一つもなく大切な人と共に過ごしてきた日々だけを想い、
幸せな気持ちで旅立って行くのです。

人間よりもずっとずっと強く今を生きているこの子達にたくさんのことを
学ばせてもらっているんだなと実感します。

そんな中、今懸命に残された命と闘っているお友達ワンコがいます。
動けなくなった不自由な身体で懸命に生きようとしているこの子もまた、
いつかやってくるであろうその時のことなど恐れることなくいつもと変わらず
ご家族様の愛情を一身に受け今この時を過ごしています。

頑張れ!

















先日の1月5日は元太の4回目の祥月命日でした。
もう4年も元太の温もりを感じず、抱きしめることができないでいる。

小さな小さな元太と初めて出逢い、そっと抱きあげた時に感じたフワッと軽くて儚げな重みに
「この子の命は一生をかけて守っていかなければ」と改めて思ったものでした。

それから14年間、毎日元太を抱きしめながら生きているんだという温もりと重みをしっかりと
両の掌に、胸に刻んでいきました。

そして元太が旅立つ時もワタシの腕の中で元太の重みを感じていました。

すっかり痩せ細った元太だったけれど、脱力し力なく横たわった元太は思いのほか重く、ワタシの
腕に胸にずっしりと刻み込まれました。

葬儀が終わり、小さな骨壷に入った元太をワタシは初めて抱き上げた時のように両の掌でそっと抱きしめました。

それはフワッと軽くて儚げだった重みではなくしっかりと感じることができました。

嗚呼、これが元太が今まで生きてきた命の重さなんだ・・・

元太と過ごした14年間はワタシの人生の一部でもあるのだからあなたの重みをこれからもずっと
忘れることなく生きていくね。










2018年9月4日、元太の肝臓と脾臓にできた腫瘍との共存ができなくなったと告げられた日。

元太を抱きしめながら病院の待合室で声を殺して泣いた日。

いつか必ず訪れる元太とのお別れの日は決して遠いことではないのだと悟った日。

これからの元太との日々を今まで以上に大切にしていこうと思った日。

元太が幸せな気持ちでいられるようにと願った日。

そして、どんなお別れの仕方であっても眼を逸らすことなく全てを受け入れようと覚悟した日。

だけど、どれだけ覚悟をしていても元太がいなくなった時のことを想像することができなかった日でもありました。




今日、8月28日は虹の橋記念日だそうです。
虹の橋にいるお子達に想いを馳せる日。

そしてワタシも元太へ想いを巡らします。

今日だけ元太と電話で話ができたらなぁ。
今の時代だから虹の橋にある電話もスマホなのかな?(笑)

ピロピロピロ♪
ワタシのスマホから聴こえてくる優しい音の着信音。

「もしもし?」

「もしもし母ちゃん、元太だよ」

「元太?元太なの?」

ワタシはビックリするやら嬉しいやらでスマホを持つ手が震えます。

それからたくさんたくさん話をしました。
虹の橋での暮らしのこと、楽しかったこと、悲しかったこと、父ちゃんのこと、伍助のこと、お店のこと・・・泣きながら話すワタシに「うんうん」と相槌をうつ元太。

元太はなんでも知っていました。

ワタシは元太と話ができるだけでただそれだけで幸せな気持ちになっていました。

どれぐらい時間が経ったのだろうか。

少しの沈黙の後、「母ちゃん、そろそろ切るね」と元太が言いました。

「・・・うん。」

ワタシは躊躇いながら返事をしました。
できることならずっと電話をしていたいけど、そう言うわけにもいかないよね。

「元太、今日は電話をかけてきてくれてありがとね。とってもとっても嬉しかったよ。またこうしてお話できるかな?元太、元気でいてね。」

元太は「また来年、虹の橋の記念日に電話かけるからそれまで母ちゃんも元気でいてね。」

「うん。゚(゚´ω`゚)゚。」

「じゃあ、またね」

そう言うと元太は静かに電話を切りました。

スマホの向こうに元太はもう居ませんでした。

どんなに声が聴きたくても残念ながらこちらから電話をかけることはできません。

また来年、元太から電話がかかってきたら元気な声で話ができるように頑張って生きていかなきゃね。

年に一度の虹の橋記念日。

皆様のところにもお子達から電話がかかってきたら、たくさんたくさん話をしてくださいね(*´ー`*)







皆様は雨降り地区をご存知でしょうか?

そこは虹の橋の入り口にあり、そこではいつもシトシトと冷たい雨が降り、動物達は寒さに震え悲しみに打ちひしがれています。
そう、ここに降る雨は遺されたご家族様の流した涙が雨を降らせているのです。
 
大抵の子は半年もしないうちに、暖かい陽射しの中に駆けだして仲間と戯れ、遊び、楽しく暮らすことができます。

でも、一年たっても二年たっても、ずっと雨降り地区から出て行かない子達がいます。
遺されたご家族様と同じ辛い思いをして同じ悲しみに凍えているのです。
 
同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、愛し合った記憶はあなたの心から永遠に消え去る事はありません。
ご家族様と過ごしてきた幸せと愛に満ち溢れた想い出が虹の橋をつくり上げているのです。
 
彼らはあなたを幸せにする為に、神様からつかわされたのです。
そして、何よりも大事な事を伝えにやってきたのです。
命の儚さと愛しさを。
束の間の温もりに感じる慈悲の尊さを。
その短い生涯の全てをもって教えてくれるのです。

以上、作者不明の「雨降り地区のお話」より一部抜粋し、自分なりの解釈でお届けさせていただきました。
 
どうか愛しいお子達が雨降り地区から出られるよう悲しい涙が優しい想い出へと変わりますように・・・。


昨年相方が入院してからずっと、毎朝、毎晩欠かさず元太の遺骨に手を添えてお願いしていることがあります。

相方が集中治療室に入って人工呼吸器を付けたと聞いた時は泣きながら「元太、お父さんが元気になって戻ってきますように❗️どうかどうか守ってね❗️」と。

生死の境を彷徨っていた相方の容態が安定し、もう大丈夫とわかった時は「お父さんを守ってくれてありがとう😭」と何度も何度も元太にお礼を言いました。

退院して来てからはなかなか体調が安定せず辛そうな相方を見ては「元太、どうかお父さんが元気になりますように❗️力を貸してね❗️」と。

そんな事を先日、ある人に話したところ
「元太君が居なくなってもずっとかんださんの支えになってるんですね(*´ー`*)」と言われてふと気付かされました。

嗚呼そうだ。
ワタシは元太がいた頃からずっと元太に支えられていたんだと。
辛いことや悲しいことがあった時は必ず元太を抱きしめて話しかけていました。
泣き虫なワタシにそっと寄り添ってくれる元太にどれほど心救われてきたことか・・・。

今は姿形はないけれど以前と変わらずワタシの支えになってくれている元太。
あなたの存在の大きさを改めて実感しています。

お父さん子だった元太。
どうかお父さんが元気になるようずっとずっと見守っていてね。






そろそろと家の中を整理しているとしまい込まれていたノートが出てきた。
元太が我が家に来てからしばらく書いていた元太の成長記録。
久しぶりに読んでみると懐かしくて切なくて涙腺崩壊しました😭

2004年 
10月1日
元太初めての我が家。お父さんもお母さんも心配でよく眠れませんでした。
元太はご飯もあまり食べません。

10月11日
今日から部屋の中で遊んだ元太。
よく動きよく走る。トイレは失敗。
次の日からも必ず一度はトイレが上手にできなくてお母さんに怒られてます。
この頃からご飯も良く食べるようになりました。

11月5日 
だんだん噛み方がきつくなってきてお父さんもお母さんも手が傷だらけです。なんとかやめさせないとこれから大きくなるにつれ大変なことになるかも。ストレス解消にとロープのおもちゃを与えたらものすごく喜んだ。でも、ロープが血まみれに。

11月23日
怒られても怒られても悪さをする元太。なんで言う事を聞かないのか。やっぱりストレスなのかなぁ。お父さんもお母さんも少々お疲れです。興味を引くためサークルの中からおもちゃを外へ出す芸まで覚えた。

12月7日
今日、初のお風呂に入った元太。ブルブル震えてビックリしてた。疲れたのかその後お父さんとしばし仮眠。どうか風邪引きませんように。

12月8日
今日はお散歩デビューの日。ずっと外に出てなかったせいか全く歩かず腰がひけて座り込むことしばし。元太にとったらかなりのカルチャーショックだったようで帰宅すると爆睡してました。

1月6日
初めての長旅で京都へ。京都の実家ではばあちゃんに大歓迎されました。慣れない所で良く眠れない様子。

1月15日
今日で生後5ヶ月になりました。まだまだ噛み癖は治りませんがだんだん成犬のような顔つきや身体つきになってきました。

2月17日
今日、獣医さんへ耳を診てもらいに行ってきた。どうやら外耳炎らしい。かなり酷いみたいでしばらく通院することに。アレルギーの可能性もあるのでしばらくオヤツ禁止です。治療もかなり大変そうで元太はすごく泣いてかわいそうです。早く治りますように。

この後からはずっと元太のアレルギーの事ばかり綴ってありました。
元太が2歳を迎える頃からアレルギーもかなり酷く、お腹の辺りが赤く腫れたり黒い色素沈着が見られたり、毛がまとめて抜けたりカサブタができたり・・・。

元太が3歳になった頃には

アレルギーも酷くなる一方でどうしようもない。昨日は耳を掻きすぎて血が滲んでた。痒いのが当たり前になってる元太を見るのがとても辛い。

と綴っている。

この後も元太はずっとアレルギーと共に過ごしていくことになり、その間に背中と口元、首元にできた腫瘍の手術をしたりと本当によく病院通いをした子でした。

こうして読み返してみると、ワタシ達夫婦も初めての子育てに右往左往していたんだなと当時のことが蘇ります。
元太と共に過ごしてきた日々は大変だったけど、それ以上に楽しいことがたくさんありました。

このノートもワタシの気まぐれで書いたり書かなかったりで覚えていない事もあるけれどその時々の元太の事をいつでも思い出す事はできます。
どれだけ経っても元太の成長は心の中にずっと残っているからね。

この時期になると思い出すのがクリスマス撮影会です。
2016年から新たに始まった商店街のイベントでお友達のカメラマンさんに元太を撮ってもらっていました。

2016年 元太12歳
2017年 元太13歳
2018年 元太14歳。
この日はちょうど亡くなる1ヶ月前で、これが最後の撮影会になりました。

座ってポーズを取ることもできなかった元太。

自分に言い聞かせるように「来年も元太と一緒に写真を撮るんだ」と心の中で何度も何度も繰り返していたけれど、どれだけ願ってもきっとこれが元太との最後の撮影会になるんだと言うことを薄々感じていました。
そして気がつくと涙が次から次へと溢れていました。
元太のことをよく知るカメラマンさんの写真はどれも優しくて温かくて胸が熱くなりました。
小さくてモフモフのゲンタクロース。
今は本物のサンタさんになってクリスマスに逢いに来てくれるかな?

この時期になるとあなたと過ごした日々が鮮明に甦ってきます。

あなたとお別れするまでのひと月は本当に濃密で愛しいがいっぱい詰まった時間でした。

2年前の元太。
この頃になると自力で立つこともままならなくなっていた元太。
それでもこの時は珍しく自分でヨロヨロと立ち上がっていました。
きっと元太にとってなぜ立ち上がれなくなったのかわかっていなかったのだと思います。

そう、この子達は私達人間みたいに昨日の事を後悔したり明日の事を不安がったりすることはありません。
そして歳を取ったことも、目が見えなくなったことも、歩けなくなったことも、身体のどこかが痛いことも、辛いことも、なんの疑問も持つことなく全てをそのまま受け入れて、自分の命がいつ尽きるのかなんて考えることもありません。
ただただ今日と言う日を懸命に生きているのです。
生まれてからずっと毎日毎日同じように繰り返し生きてその中でほんの少しだけ楽しいことや嬉しいことを見つけては全身で喜んでくれる。
だからこそ私達は、少しでも多くこの子達に幸せな時間をあげたいと思うのです。
だけどそれも私達人間が勝手に思うことで、この子達にとっては昨日も今日も明日もいつもと何ら変わることはありません。

大好きな家族と共に過ごすこと。

それがこの子達にとって何よりの生き甲斐なのかもしれません。

どうか今日一日、一分一秒を無駄にせず今目の前にあるひたむきにそして懸命に生きている命と共に過ごされますように・・・。